たーの徒然

試行錯誤してます……

だから私は田舎から逃げた。

最近、私が勝手にメンター(優れた指導者という意味)と慕う、だいぽんさんの記事を読んでいて、ふと思うことがありました。

daipon01.com

 

この記事によれば、田舎は「老衰のシステム」がはたらいていて、

 

大人も子供も夢を見ない(「成功」を諦めている)、まず成功を想像できない(想像できる成功は公務員になること)、

 

優秀な人はすぐに流出し、

 

地域に残るのはさほど優秀でもない、保守的で現状維持志向の人たち。

 

その人たちが地域で活躍する主体となり、子供をもつ。

 

その子供たちは同じ価値観を持って大人となり、夢を見ない大人になり・・・

(初めに戻って循環・・・)

 

ということを書いてあり、

 

これを社会学では、社会的地位の再生産なんて言ったりしますが、

 

どこも同じなんだな・・・と共感し、落胆しました。

 

私の地元は北関東の最北、栃木です。

とはいえ、県南は東京から各駅電車で2時間あれば着き、

都心のベッドタウンとなっている場所もあるほど東京に近い。

 

そんなに都心に近い場所でも、同じ現象が起きています。

 

「公務員か地元銀行に就職」が最高に褒められる。

 

新聞、テレビはちゃんとあるし、

40代以下ならスマホはほとんどの人が持っている。

 

情報はちゃんと手に入れられる環境は整っている。

 

でも、すごく保守的で現状維持志向。

 

ネットリテラシーがホントに乏しい・・・

というのを帰省するたびに思います。

 

物心ついたころから携帯電話やホームページ、インターネットを利用し、動画やクラウド環境を活用する1996年以降生まれを「ネオ・デジタルネイティブ」というけれど、

 

私たちの世代が今、田舎で生活するのは、ハードの面(ネットにつながるための機材)よりソフトの面(ネットに対する価値観)の方がきついと思う。

 

ってか、ネットに対する否定的価値観がツラい

 

だから、それを逃れるように東京に出てきたわけですが・・・

 

当分、改善する感じはしないので、自分でネットリテラシーを高めて(これは田舎でもできる)、自分で頑張っていくしかなさそうですね。

 

「死ぬくらいなら会社辞めれば」はホントにしんどい人には届かない

 

 

 

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

 

 

衝撃のタイトルで、以前から気になっていたが、この度キンドルで読んでみた。

ホントに、よくわかる。あるある。。。よくぞ、本にしてくれた!

 

あの、どんどん視野が狭くなっている感じ・・・

やらなきゃ・・・進まなきゃ・・・という自分の内側からの声・・・

その声ががどんどん大きくなっていく感じ・・・

 

社会人になったこともない私が言うのもなんだが、「死にたい」と一度は思ってしまった人にはすごく共感できる漫画だ。

 

しかし、正直に言って、ホントにもうだめだ・・・ってなっている人には通用しないというか、今まさに辛い渦中にいる人にはちょっと読みづらいかもな、と思った。

 

今、ガチで辛い人は、完全に視野が狭まっているから、この本は眼中に入らないだろうな・・・。

 

という理由と、もう一つの理由が、

 

 

漫画の中の情報量が結構多い。

 

 

コマの中の文字量が結構多いのだ。

 

いや、手塚治虫ブラックジャックとか読む人間には圧倒的に少ないよ、そりゃ。

でもね、今、辛い、しんどい、何もできないのになんかしなきゃって思ってても体が動かなくてめちゃくちゃしんどいって人には、あんまりおすすめできないなって感じがしたのだ。

 

漫画なのだが、短い文章に挿絵がついている、という印象。

 

手に取ったとしても、読み進められないんじゃ?っていう気がする。

辛い理由が知りたくてこの本にすがるのは違うな、と思う。

 

じゃあ、どんな人が読むべき?

 

若干、「あ、自分ヤバイかも」と思えた人か、「あ、今ちょっと体をベッドから起こせる」って人向けっす。

 

そういう人たちが見れば、この本はものすごく効果を発揮する。

 

というか、著者が冒頭に書いてるんです。

 

「今、これを読んでいるあなたは「まだ大丈夫」です。」

 

これを読める人はまだ大丈夫。

 

今のうち、メンタルクリニック、一回受診してみようぜっ(`・ω・´)

 

ちなみに、私の初診料は2,290円だったぜ

ユニクロのハイウエストスカートと同じ値段で人生楽になるんやで!!!

(いきなりの、関西弁w)

 

病名もなんもなく、その時期ただただ辛かったから近所のメンタルクリニック行ってきた。

そんなんでも、病院かかっていいんだって!!!

 

この本で出てくるゆうメンタルクリニックのゆうきゆう先生もそう言ってるから!!!

ちなみに、病院の選び方とか、こんな状態(自分の認識では軽い症状)でも病院行ってもいいの?といった質問に対する答えが書いてあって、こういうのを病院の側の人が答えてくれるのはありがたい。

 

あ、マンガでわかる心療内科は漫画もアニメも好き。

 

あーーー、書きたいこといっぱい浮かんできたけど、とにかく

 

ガチでヤバイ人はとにかく今は休め!!!

ちょっとおかしいなって感じたら、この本読んで、病院へ!!!

 

 

そんじゃ、今回はここまで。

ちっちゃいころからほん怖がホントに好きだ

今年もほん怖やるんだね!SMAP解散して吾郎さんジャニーズ辞めちゃうから、ほん怖どうなんだろう…と勝手に心配してました。(ジャニーズ事務所は9月で契約終了だそうな)

 

霊感とか全くないけど、霊感のある友人とか、お寺に通っていた(田舎なもんで、親が割と信心深い)のもあって、死後の世界とか第六感とか霊的なものは存在すんじゃないかな―――と漠然と思っている。

 

それでもって、夏の幽霊モノの番組が大好きw

 

ほん怖は小学生の頃から毎年欠かさず見てる、私にとっては夏祭りと同じくらいテンション上がるの恒例行事なのです!!!

 

小学生の頃は、祖母の腕にがっしりとしがみつき、おばけが出てきたらばあちゃんの背中に頭をぐりぐりこすりつけて見なかったことにしてました。相当な怖がりだったんす(´・ω・`)

 

でも、ある時から怖くなくなってしまったんです。

 

それは祖母が亡くなってからでした。

 

小学校6年生のとき、祖母は自宅でたくさんの親族に見守られながら息を引き取りました。おばあちゃんっ子だった小6の私は、わんわん泣いて、泣いているのを見られたくなくて家を飛び出し、その後、「おばあちゃんを困らせたらいかん」と思ったかどうかはともかく、家の周囲一区画を泣きながら歩いて帰宅。

その後、普通に通夜、葬式。

 

そこから一か月くらい不思議なことが起こったんです。

 

夜中、階段を上がる足音が聞こえたんです…

 

それも、私だけでなく両親も聞こえたと言っていました。

その足音は、当時80を超えていた祖母のゆっくりとしたペースで、私たちは全く怖くなく、「あ、ばあちゃん来た。」くらいにしか思わず、これが怖がらせに来た別の霊さんだったら不本意だろうなーってくらいの、認識。

 

別の日には、やっぱり夜中、私の部屋はリビングに近いのですが、リビングで新聞をめくっている音が聞こえました。

 

その日はみんな同じころに寝だしたので、リビングは真っ暗、そんなところで新聞を読む人がいたとは思えません。

でも、新聞を読むのが大好きだった祖母のこと、私は「あ、今日は新聞読みに来たんだー」と思い、リビングを見ることもなく就寝・・・。(だって邪魔しちゃ悪いじゃん?)

 

そんなこんなで、心霊現象的なものを体験し、祖母が亡くなってから初めて迎えたほん怖。

 

隠れる場所がなくなって、自立したのかもしれませんが

 

全然怖くない!!!

 

くせっ毛の持ち主である私は、「お化けさん、きれいなロングヘアしてんなー」くらいの余裕。

 

これどうやって撮影してんだろ?とか、去年のほん怖の前田敦子さんが出てたロケ地が荒川の熊野前で、知ってる場所だ!!!とか思ってみたり、

 

いきなり霊が出てきて心拍数が上がることはあるけれど、大体感心して終わります。

 

映像を制作する側からすればあまり嬉しくない視聴者だろうけどwww

 

というわけで、今年もほん怖が楽しみです( *´艸`)

死にたいと思ったら、頼むからよしもとばななを読んでくれ。

タイトルはけっこう矛盾している。死にたいと思ったときは、大抵、紙の本が読めないから。だから、この場合、死にたいという思いが攻撃的な方向に向いている状態の「死にたい」の人に。(なんかいろいろ矛盾してんなぁ…笑)

 

よしもとさんの書く小説の主人公は大体何かしら欠損を抱えている、と私は思う。

全部読んだわけじゃないから、そうじゃない主人公もいるのかもしれないけど、その欠損の部分に私は自分を重ねている。気づかないうちに。

そして、物語のベースは常に穏やかで、安心して読んでいられる。

私が好きなのは、とかげ。

とかげ (新潮文庫)

とかげ (新潮文庫)

 

短いから、すぐ読めるよ。

登場人物が抱えているものは大きすぎるのに、それが全然激しさを出さず、静かに流れていく。

 

人間は完璧じゃないなんて、そんな使い古された言葉をもってこられても、疲弊した精神には何の役にも立たなくて、そんな時には、違う世界に行ってしまえばいいと思う。もちろんそれは、天国とか地獄とか死後の世界って意味じゃなくて、物語の世界へって意味で。物語を読んでいるときは、その時間、私は「現実世界」には存在しない。哲学でもなんでもなく、これは事実だと思う。

昔は、ケの日、ハレの日で、お祭り騒ぎの無礼講が容認されてて、現実世界を区切る習慣があったらしいけど、今の時代はそれが許される雰囲気じゃなくなっちゃったし、ある意味、今の時代はずーーーーーっとハレの日。特に田舎から出てきて都内で一人暮らしする私にはそう感じる。そんなのずっとやってたら、そりゃ疲弊して、死にたくもなるわなあ、と勝手に思うのだ。私は、小説を読んだり、映画を見ることで日常から離れる。私は、ケの日に入るためと思って、物語の世界に入るのだが、それはハレの日を超えた次元の話しなのかも。超ハレの日?そんなテンション高い人みたいな表現やだなぁ(笑)

 

自覚あると思うけど、疲れてるんだよ。休みな。

とか言っても、伝わらないんだろうな…っていう悲しみをいつも抱えながら今日も生きてる。

自分を偽善者だと思うことはもうやめにした。

夏に、地元の友達と会うことにした。

 

中学を卒業して以来だ。それでも、彼女とは手紙(このご時世で物理的な手紙とは!)でやり取りをしていたから、今はあまり心の隔たりは感じていない。最近、メールでやり取りできて増々、喋りまくっている。

 

私は、少し前まで、彼女に対して負い目があった。

 

私は、偽善者なんじゃないかと自分を責めていた。

 

彼女は難病を抱えて生きている。

 

彼女は幼いころから病と闘っている。薬の副作用で身長が極端に低く、両ほほはいつも赤くむくんでいた。「副作用で骨がもろいから、走り回るな」という御触れがしょっちゅう出てた。教師も、生徒もみな、腫物に触るような扱いだったように感じる。

私は、比較的誰とでも話す児童・生徒だった。スクールカーストとかよくわかっていない能天気不思議ちゃんポジションにいたし、周りにはいつも友達がいた。彼女ともよく話してたし、運動苦手だったから昼休みとか、教室にいる彼女に折り紙教えてもらったりしてた。

相対的に彼女と接する時間は、他の人より長かった。ただそれだけがきっかけだと思う。

私は、小・中学生の頃は、いい子ちゃんだったし、成績も中の上、それに誰とでも話すし、面倒見がいいと来れば、先生から頼まれごとをされることも多かった。

当然、こまごました彼女の面倒、みたいなものもあった。通院で欠席した日のプリントをまとめておくとか、(持っていくとかいう大げさなことは頼まれなかったし、やらなかった)、授業がどこまで進んだか伝えるとか、そういう本当にこまごましたこと。そのころの私は、それらをすることに対してめんどくささとか、あんまり感じてなかった(と思う。そういう記憶があまりない。)友達だし、まあ、伝えとくのふつうじゃね?って思ってた。

 

でも、高校に入ると、この記憶が罪悪感に変わっていった。

彼女は特別支援の高校へ進み、私は公立の普通科高校へと進学。それぞれ違う道に進んだ。当然といえば当然。それでもお互いの誕生日になると手紙を書いた。それを贈る度、私は本当に彼女と友達なのか自問自答した。

私は彼女を助けることで優越感に浸っていたんじゃないか?先生からの信頼も得られていいポジションだとほくそ笑んでいたんじゃないか?彼女に感謝の言葉をもらえることわかっていて、それを得るためにやっていたんじゃないか…???

私は、偽善者?

 

(その後高校に入ってカクカクシカジカ(めんどくさいので以下略)があり、精神を病みがち、一浪して大学受験失敗し、挫折を経験し、全くの志望校じゃないが妥当校(笑)に進学。病まなければ、割と幸せな基本ぼっち生活を送れるようになる。)

 

そして、最近、彼女の誕生日があった。結局、物理的なバースデイカードを贈る。(フライングするというミスを犯すwww)

 

夏休みに会いたいなーと書いていた。

自然に書いてた。

偽善でもなんでもなく、本心とかでもなんでもなく、彼女があんまり動けないとか考慮するとかなく(´・ω・`)オイ。

 

そしたら、会いたいって言ってくれた。

今、足腰が術後であまり動けないらしいのに、私が家に行ってもいいよーとか伝えても、近くのファミレスでどう?って提案してくれた。

 

お願いがあるんだけど、手の関節を痛めるとドクターストップがかかるから店内で車椅子押してほしいんだけどいいかな?迷惑かけてごめんね。

 

ってメール来たとき、はい?何が迷惑じゃボケぇ

と思った自分がいた。

 

あ、私、彼女の友達だったわ。何4年間悩んでたんだろ。

 

ってふつーに思った。

 

損得勘定とかなしに彼女と会いたいと思った。

それに気づけたことで、

なんだ、このものすごい解放感は。

 

自分で、「自分は偽善者だ」と責めるのはもうやめようと思った。無意味だ。

 

偽善者ってたぶん他人に向けて発せられる評価であって自分に対しての評価の言葉じゃない。

 

自分に自信が少し持てて、なんかしあわせだ。

 

さて、彼女のへお土産は何にしようか?

自分の性格がわからない…というしんどさに。ストレングスファインダー診断という処方箋

 

ストレングス・ファインダー診断を受けてみた。

私の結果はこんな感じ。

上位5つの資質
1. 収集心
2. 共感性
3. 個別化
4. 慎重さ
5. 運命思考

 

なんでストレングスファインダー診断をやったか

 

やぎぺーの八木さんのブログを見ててこんな記事を数日前に見ていたからだ。

www.jimpei.net

この記事を見ていたときは「ふーーーん・・・」で終わってしまって、そんなにやる気はなかったのだが、たまたま近所の本屋で発見。

 

…このミーハーめ

買っちまったぜ。

 

買ったのはこちら。

 

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0

 

 今年出版された最新バージョン。

 

ただでさえネガティブな自分。

自分の短所ばかりに目が行きがち。

短所は見方をかえれば長所になりうる!!!

・・・と知っていながらも、短所を長所に言い替える表現を知らなかったのだ。

 

そして、的確にじぶんの強みを示してくれて、いい意味でぐさぐさ刺さる。

例えば私の一番の強み、収集心inputの解説はこんな感じ。

 

 あなたは知りたがり屋です。あなたは物を収集します。あなたが収集するのは情報――言葉、事実、 書籍、引用文――かもしれません。(中略)集めるものが何であれ、あなたはそれに興味を惹かれるから集めるのです。

 

もしあなたが読書家だとしたら、それは必ずしも あなたの理論に磨きをかけるためではなく、むしろあなたの蓄積された情報を充実させるためです。

 

これらは手に入れた後、保管しておくことができます。(中略)あらゆる利用の可能性を考えているあなたは、モノを捨てることに不安を感じ ます。ですから、あなたは物や情報を手に入れ、集め、整理して保管し続けます。それが面白いので す。それがあなたの心を常に生き生きとさせるのです。そしておそらくある日、その中に役に立つも のが出てくることでしょう。

 

・・・物が捨てられないのをなんで知ってんの((((((; ・`д・´))))))

特に本が捨てられない。

この前、部屋をきれいにするために一念発起して100冊くらい一気にbook-offで売ったんだけど、まだ大量にあるし、何より、手元にあの本がない…orzと後悔していたところだった。

 

理論に磨きをかけるためではなく、蓄積された情報を充実させるため、というところがすごく当てはまっていて、私はスペシャリストではなくゼネラリストなんだなーと客観的な理解ができる。

 

まだ就活生じゃないけど、これ就活に役立つと思う。

というか、自分ってこういう傾向があるとわかって今後の方針を建設的に考えられるし、ポジティブになれる。

 

自分がわからない…とか、漠然とした自分への不安がある人はぜひやるべき。

 

しんどい。なんか上手くいかない…。ときのための覚書

なんかしんどい。なんか上手くいかない。

そんなことが続くとホント辛い。

 

んでもって、ネガティブスパイラルにはまっていくと、もうどうやって手ェつけていいのかわからない。(←まあ、そん時はそん時で対処法はあるけど)

 

自分が沈み込んでいないように、3つの精神的避難所をメモる。

 

一つ目、メンヘラ.jp

menhera.jp

 

ツラいのは自分だけじゃないんだって救われる。

単に、他人のことを見て逃避できる。

まあ、これ、ここのトップにも書いてあるように用法用量守らないと悪化する。

自分のネガティブ思考が極端な時は、「この人より全然悪い状況じゃないのに寝込んでる私はいったい…」となりかねないので注意

 

その2、うつヌケ

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

 もう、今やどこの書店でも見る、言わずと知れた鬱の本。(正確には漫画)

田中さんの表現で、めっちゃわかると思ったのが「濁った寒天」

うつのときに感じる、ぼやーとした感覚(記憶がぼやける・あいまいになる、活字が頭に入ってこない、音楽に感動できない等々)を的確に表した表現だなと思う。この表現を見たとき、ホントに衝撃を受けた。私も同じ感覚になった時があるが、まわりには理解してもらえず本当に辛かった。

(ちなみに、私は自分の身体と外界の間に常にサ〇ンラップがあって、モノ・コトに正確に触れられない、と表現していた。…うん、伝わりずらい。)

 

田中さんの作品はうつヌケより、「これ、よく訴えられないな…w」って感じの作品の方が好きかも。(twitterでしか見たことないけど。)

 

その3、絶望読書

絶望読書――苦悩の時期、私を救った本

絶望読書――苦悩の時期、私を救った本

 

 紙の活字が読めるようなら、まだ大丈夫。というバロメーターにもなる。

本当に辛いときは文章読めないし。

優しい語りで、読みやすい。

頭木さんの経験とたくさんの本の引用があって、それらが私を包み込んでくれる・・・という感覚になった。ほっとする、落ち着ける、そんな一冊。

 

とりあえず、自分を現実から引きはがす、逃避する。(これは避難である)

それから、まわりを見てみる。

前とは違う視点で自分を見る。

 

というのが私の落ち込み防止策らしい。

毎回、うまく防止できているとは言い難いが。

 

もしも、誰かの参考になったらそれはとてもしあわせなことだね。